もう、いいや なんてね~(笑)
最近素晴らしい人との出会いに恵まれています
昨日まで3泊4日で京都の神社に篭り人生について色々と学んでいました
かの有名な京セラの稲盛和夫さんや松下幸之助さんも学んだといわれる人生哲学を学んできました。起床も4:45の就寝も22:00で携帯もPCもまったく開かない3日間が続きとても静かで新鮮な時間を過ごしました
お誘いいただいた方も参加して3日目までまったく知らなかったのですが学生の頃、稲盛さんと一緒に活動もされていたそうです
このような素晴らしい人達に囲まれて僕が学んだことは幸せに生きるには「いかに人のために生きられるか」ということでした
ただこれは善人になるということではなく「誰もが不自由に生きることのないような世の中を創ること」に自分の命を使えるかどうかと受け取りました。十分幸せであるにかかわらずその幸せに気付けず不幸せになっている人とはまったく別です。
何を隠そう自分もその一人なのですが・・
でもこの幸せに気付くのはなかなか難しい・・
なんせ自分が十分幸せではないと思ううちは幸せを探してばかりで自分より幸せな人を見付けてはどうしたら幸せになれるか探すのだけれど結局はその人と比べて自分はまだ幸せでないと思ってしまう・・不始末・・悪循環・・
これまた最悪の話なのですが一緒に学んだ人の中にものすごく大変な環境の中生きてきた人がいました。一見はエステティシャンで有名な会社に勤めていてこの娘もより人間レベルを高めたくて来たのだろうなと思っていたらとんでもない生い立ちがありました・・。いったいどうして、あなたは今、そんな綺麗な目と表情で生きてこれたの・・と思うくらいでした。
また他にも一緒に行った方の中で一言も言われなかったのですが後から色々な人の話を聞いているとその方も大きな過去を背負っていました。
こうした話を聞いていると自分の環境や問題がいかに小さく、いかに小さな人間だったんだと痛感しました。悲しいながら自分は人の不幸を聞かないと自分の立場が分からないような人間でした。。
よくよく考えてみると自分が幼少の頃はそのような生い立ちに関係なく友達を増やして仲良く遊んで大きくなりました。けれど受験だったり育ちの環境の影響でどんどんと学力別に関わる人達が変わって行きました。また社会へ出て就職してまた同じように似たような人達で集まる環境になりました。その後独立して今度は社長業やオーナー業をしている人達と関わるようになりました。変に向上心(プライド)が高かったので今度はいかに素晴らしい人達と関わって学ばせていただいて自分の幸せレベルを高めるのかそんなことばかり考えていました。
けれど気付けば先ほどのように劣等感や不幸せを感じるばかり・・さらには全然人の為に働けていない自分になっていました。。謙虚や誠実、信頼が大切、そうしたものを大切にして信じてやって来て確かに人には恵まれました。今回の勉強できたのもそのお陰です。だけれどもそれが何の役に立ったのか考えてみると結局は自分の為でした。。人の為でも何でもありませんでした。。
世の中に出て働いてみれば様々な人達が生きています。年齢・性別・学力・経済力・役職・国籍など様々な人。そしてまた人それぞれ色々なものを背負って生きています。人の為になるように生きるということはそうした人達みんなが不自由なく生きれるようみんな楽しく生きれるようなことに一肌脱がなければ自分の人生違うなと思いました。
立派な人を目指すから立派になるのではなく人として立派なことをするから結果として立派だと言われるかもしれないそれだけだと思いました。もう、しばらくは自分の為はいいやと思いました。自分の為だけじゃモチベーションもそうは続かないし・・(汗)
本日も最後までお読みいただきありがとうございます
毎日顔晴る皆さまいつもご苦労様です